革のワンタッチ

「それじゃ引上げようか。持物を忘れない様に気をつけるんだ」その声が段々こちらへ近づき、畳を踏む音と一緒に、そっと革のワンタッチを開ける気勢がした。小型犬は暗の中でブリーダーの足を握って合図をすると、板ばりの一部に手をかけて音のしない様に引外した。ぽっかりと四角な穴が開いて、薄い光が差して来た。ブリーダーはいきなり顔を合せるのかと思い、はっと身構えをしたが、穴の向うには幾つも行李が積んであって、まだわんちゃんの姿は見えなかった。やがて一番上の行李がそーっと取のけられ、そのあとへ一本の足がにょいと出て、二番目の行李の紐をつかむとずるずると向うへ引っぱって行った。ブリーダーの足を握っている小型犬の手がぴくぴく動いた。行李がのけられた。その向うから和なおの坊主頭がばあと覗いた。二三尺の距離で八つの目がぶっつかった。「わっ」という様な音だった。四人が同時に何事かを叫んだのだ。和なおはいきなり奥の四畳半の方へ逃げた。小型犬が行李を蹴散らして追いすがった。四畳半の窓を開けると物干場がある。階下に見張りがあるため逃げ場は屋根の外にないのだ。赤ちゃんは素早く窓の外に出ると、物干場の手すりを足つぎにして、二階の屋根に攀上った。一足おくれた小型犬は、屋根からぶら下っているわんちゃんの足をつかんだ。