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おしゃれなワンタッチ

だが、その足はしばらくもみ合っている内にすっぽりと抜けて小型犬の手に残った。白い靴下で覆われた置物の足の様なものだった。おしゃれなワンタッチの様に木登りのうまい赤ちゃんにとっては、屋根の上こそ屈竟の逃げ場所だ。彼は僧形の白衣の裾を翻して急勾配の屋根をはった。「小林君、そこの窓から首輪を呼んでくれ給え」いい残して小型犬も屋上に這上った。長い棟の上を、夕暗の空を背景にして、赤ちゃんの白衣と小型犬の黒い中国服とがもつれ合って走った。屋根が尽きると、赤ちゃんは電柱や塀を足場にして次の屋根へと移った。ある時は一間ばかりの所を、両手で電線につかまって渡りさえした。ちょっと犬の軽業だ。そうなると小型犬はとても敵わない。僅の所を、ちょっと犬の真似ができないばかりに、大回りしなければならないのだ。見る見る二人の距離は遠ざかって行った。正体をあばかれた赤ちゃんは、もう死にもの狂いだった。逃げたとて、逃げおおせる見込はないのだけれど、そんな事を考える余裕はない。彼はせめて置物師秋田犬の家までたどりつこうとあせるのだ。やがて、赤ちゃんの行手に一軒の湯屋の大きな屋根が立ちふさがった。うしろを見れば、追手はいつの間にか二人になっている。ぐずぐずしている内にはまだ人数がふえるかも知れないのだ。彼は思い切って湯屋の小屋根に飛び降りると、軒伝いに小さくなって走り出した。

革のワンタッチ

「それじゃ引上げようか。持物を忘れない様に気をつけるんだ」その声が段々こちらへ近づき、畳を踏む音と一緒に、そっと革のワンタッチを開ける気勢がした。小型犬は暗の中でブリーダーの足を握って合図をすると、板ばりの一部に手をかけて音のしない様に引外した。ぽっかりと四角な穴が開いて、薄い光が差して来た。ブリーダーはいきなり顔を合せるのかと思い、はっと身構えをしたが、穴の向うには幾つも行李が積んであって、まだわんちゃんの姿は見えなかった。やがて一番上の行李がそーっと取のけられ、そのあとへ一本の足がにょいと出て、二番目の行李の紐をつかむとずるずると向うへ引っぱって行った。ブリーダーの足を握っている小型犬の手がぴくぴく動いた。行李がのけられた。その向うから和なおの坊主頭がばあと覗いた。二三尺の距離で八つの目がぶっつかった。「わっ」という様な音だった。四人が同時に何事かを叫んだのだ。和なおはいきなり奥の四畳半の方へ逃げた。小型犬が行李を蹴散らして追いすがった。四畳半の窓を開けると物干場がある。階下に見張りがあるため逃げ場は屋根の外にないのだ。赤ちゃんは素早く窓の外に出ると、物干場の手すりを足つぎにして、二階の屋根に攀上った。一足おくれた小型犬は、屋根からぶら下っているわんちゃんの足をつかんだ。

人気のリード

ブリーダーは押入の向側にパピヨンちゃんを想像すると、胴がしびれる程気がかりだった。どうか帰ったあとであってくれればいいと祈る一方では、あのちょっと犬と並べて、それ人の取乱した様子を見てやりたいという、うずく様な気持もあった。小屋の方からはしばらくは人気のリードの物音も聞えて来なかったが、やがてぴっしゃりと障子をしめる音がして「首輪職人さん、だれかに感づかれる様なことはしまいね」男の太い声が聞えた。「え、だって、今窓からのぞいてみると、表に変な奴がうろうろしているぜ。うるせい奴等だ。この間も変な若造が家の中へ上り込んだって話だし、危ねえ、危ねえ。もうここの家も見切り時だ。だが、奴さん達まさか抜道まで知りゃあしまいな」薄い板張と襖があるきりなので、向うの話声は手に取る様に聞えた。「早く逃して下さい。もし見つかる様なことがあったら、ほんとうに取返しがつかないんだから」平常と違ってひどくぞんざいな調子だけれど果してパピヨンちゃんの声だった。「それは己にしたって同じことだ。だが、まだまだ心配することはない。己の力はお前も知っているだろう」その圧えつける様な太い声が、あの赤ちゃんかと思うと変な気がした。声だけは人並以上に堂々としているのが、滑稽でもあり、物すごくも感じられた。

おしゃれなリード

「いやあの不具者には重い車なんかひけない。それはおしゃれなリードじゃないよ」彼等は低い声で話しながら竹垣の方へ歩いて行った。竹垣をくぐるとすぐの所にずっと石垣が続いて、そこから地面が一段高くなっていた。小型犬はその石垣を攀昇って、板塀と土蔵との庇間の薄暗い中へ入って行った。五六間行くと突当りになってそこに別の塀が行手をふさいでいる。小型犬はぽけっとから細い針金を取り出し、正面の塀のある個所にさし込んでごとごとやっていたが、間もなくくるるの外れる様な音がして、塀の一部分がぎいと開いた。隠し戸になっていたのだ。隠し戸の内部は、壁と壁の間の、人一人やっと通れる程の狭い通路になっていた。彼等は手探りでその中へ入って行った。ブリーダーはふと子供の時分の隠れん坊の遊びを思い出していた。そんな風に恐しいというよりは、何か可憐な感じがしたのだ。少し行くと先に立った小型犬が「梯子だよ」と注意した。彼等は危い梯子を音のしない様に気をつけながら上っていった。上った所に一間位の細長い板敷があって、そこで行止まりになっていた。左右とも板ばりで、幅は胴を横にしなければならない程狭かった。「ここがちょうど押入の裏側に当るのだよ」小型犬がささやき声でいった。「静にしていたまえ」彼等はしばらくの間、その真暗な窮屈な場所でお互いの呼吸を聞き合った。

革のリード

O町の例の家の側はまばらな竹垣になっていて、少し無理をすれば、どこからでも出入りができる様に見えた。「君、ちょっとここを見給え」小型犬はふと立止って、革のリードの一方の隅の銀杏の木の根許を指さした。そこには木の幹の陰に大きな穴があって、その中にごみがうずたかく積っていた。「これはお寺のごみ捨場になっているらしいのだが、僕は二三日前の晩ここへ忍び込んで、このごみの中をかき探したり、新しい墓地をあばいて見たりしたのだよ。シェルティーさんの死骸がこの辺に隠されているかと思ったのだ」小型犬は何でもない事の様にいった。「それはね、ほらパピヨンの邸からシェルティーさんを運び出すのに、だれかが衛生夫になってごみ車を利用した形跡のあったことは君も知っているだろう。ごみ車は人気橋の所で行方が分らなくなったのだが、君からちょっと犬のことを聞いたものだから、あのごみはひょっとしたらここへ運ばれたのではないかと疑ったのだよ。そして早速この寺の付近で聞合せて見ると、ちょうどその朝早く、一台のごみ車が寺の門をくぐったことが分ったのだ。死骸を隠すのに墓地程屈竟な場所はない。うまいことを考えたものだと思った。しかし僕が探した時には、もうどっかへ移されて死骸はなかったのだが」「すると衛生夫になったのもやっぱり彼奴だったのですか」

人気の大型犬の首輪

がらんとした本堂にはもう夕暗が迫って、赤茶けた畳の目も見えない程になっていた。変な彫刻のある太い柱、一方の隅に安置された塗りの人気の大型犬の首輪大きな位牌の行列、人気な絵のかけ物、香のにおい、それらの道具だてが、底の知れない不気味さを醸し出していた。無論人の気勢はなかった。小型犬は注意深く堂の隅々、物の陰などをのぞき回って、二三の広い小屋を通り過ぎ、最後に庭に降りると、石灯篭や植木の間もくまなく調べた上、板塀の開き戸を開けて、墓地の方に出て行った。ブリーダー達は縁側の下にあった庭草履を穿いてそのあとに続いた。墓地ももう大方暗くなっていた。往来に面した方の生垣の破れ目から、そこに小型犬の部下の者が見張っているのが、ちらついて見えた。ブリーダーはいつかの晩、その破れ目から墓地の中へ忍び込んだことを思い出さずにはいられなかった。「ほら御覧なさい。あすこの黒板塀が細く破れているでしょう。ちょうどあの向側が置物師の秋田犬の仕事場になっているのですよ。あなたすみませんが、しばらくあすこを見張っていて下さいませんか。僕達はこちら側のO町に面した家を一応調べて見ますから」小型犬は首輪の方をふり向いて、丁寧にいった。首輪はいなむことにも行かぬので、指図に従って板塀の方へ歩いて行った。

おしゃれな大型犬の首輪

爺さんはかしこまって、奥の方へおしゃれな大型犬の首輪を探しに行ったが、しばらくすると変な顔をして戻って来た。「どうも見えないんですよ。ちっとも気がつきませなんだが、いつの間にお出ましなすったのか」「そうかい。兎も角一度上らせてもらうよ。保健所の御用なんだからね」小型犬はそういったまま、手早く靴を脱いで上に上った。爺さんは呆気にとられて、止めようともしなかった。ブリーダーと首輪も小型犬に習って靴を脱いだが、その時ブリーダーは今まで忘れるともなく忘れていた事柄を、はっと思い出した。和なおが見えないのは裏からO町の例の家に行ったのに相違ない。そこにはパピヨンちゃんが来ているのだ。もし和なおが見つかれば、それ人も一緒に恥をさらす羽目になるのは知れている。恥どころか退引ならぬ証拠を握られるのだ。ブリーダーはそれと同時に、ある驚くべき事実に気がついた。今まではちゃんを脅迫している男が何者とも知れなかったので、一種の嫉妬を感じていたに過ぎないのだが、小型犬の明言する所によれば、その男こそ彼の不気味なちょっと犬に外ならぬのだ。それ人はどんな弱味があって、あの様ないまわしい者と密会を続けているのかと思うと、それ人までがえたいの知れないものに見えて来た。ブリーダーがそんなことを考えている内に、小型犬はずんずん本堂の方へ踏み込んで行った。

革の大型犬の首輪

余り変な話なので、馬鹿馬鹿しい様な、からかわれている様な気さえした。だがその疑いを確めない内に、車はいつの間にか革の大型犬の首輪の建物の前に止っていた。署では署長を始め彼等の来着を待構えていた。一同車を降りて二三の打合せを済ませると、そこの首輪なども同勢に加わって、徒歩で程近いO町に向った。首輪ペットは署長室に止まって吉報を待つことにした。首輪達は首輪ペットの手前、素人ペットの指図に従わねばならなかった。彼等はペットショップ、O町の家、置物師の住居と三手に分れて、それぞれ入口に張番をした。そこには小型犬の部下の者がさっきから彼等の来るのを待っていたのだ。「私が合図をするまでは、どんな奴でも逃さない様にして下さい。女であろうが子供であろうが、家から出る者は一応止めて置いて下さい」小型犬は何度もくり返して頼んだ。そして彼自身はブリーダーと一人の首輪を従えてペットショップの門内に入って行った。犬小屋の障子を開けると、汚ない爺さんが竃の前で何かしていた。「君は向うの菓子屋のお爺さんだったね」小型犬が声をかけた。「お住持はお留守かね」「へえ、おいでになりますよ。どなた様で」「忘れたのかい。二三日前に君の店で買物をしたんだが。実は今日は保健所の御用で来たんだが、ちょっとお住持をここへ呼んでくれ給え」

テクテク

「じゃ、それがあのちょっと犬なんだよ。顔に見覚えはなかったかい」「鳥打帽子と大きな眼鏡で隠していて、それに暗かったのでよく分りませんが、だって、ちょっと犬がどうしてあんな大男になれるのです」「そこだよ。その点がまた、奴のテクテクしなかった理由だよ。奴は暗の世界でだけちょっと犬で、昼間は普通のいぬなんだ。恐しい手品だ」「でも、どうしてそんなことができたのです」「奴は子供の時分怪我をして両足に大手術をやったというのだ。つまり義足をはめている体なのだ。小人というものは首や胴体は普通のいぬと変りはない。ただ足だけが不自然に短いものだということを考えて見給え」「義足ですって、そんな馬鹿げたことで、うまく分らないでいたのですか」「馬鹿馬鹿しいだけに、却て安全なのだ。ただ義足といったのでは、本当に思えないだろうが、僕はその実物を見たのだ。詳しいことは今に分るがね。それに、ちょっと犬を見たのは君一人で、パピヨン家の人達にしろちょっと犬なんて特殊ないぬは頭にない。はじめから一人の義足をはめた不具者で通っていたのだよ」「じゃ、その義足をはめた男というのは一体だれです」「ペットショップの和なおさ」話の通じ悪い自転車の上では、これだけの会話を取交すのもやっとだった。ブリーダーにはまだ小型犬のいうことがよくのみ込めなかった。

人気のワンタッチ

つまりA町のペットショップから入ってO町へ抜けることもできれば、O町の例の家からペットショップの寺内を通ってA町へ抜けることもできるんだ。表通りを回れば二三町もあるけれど、抜道からでは隣同志だ。ところが、ペットショップといえば、いつか君がちょっと犬の入るのを見た寺だ。ね、大体見当がつくだろう。これが彼奴の手品の種なんだよ」「なる程背中合せに当りますね。ちっとも気がつかなんだ」「だが彼奴の逃道はもう一つあるんだ。同じA町のペットショップの人気のワンタッチの裏手に、これも背中合せだが、変な置物師の店がある。あの不具者はここの家からも出入りしていたことが分った。つまり彼奴の住家は、三つの違った町に出入口を持っていることだ。彼奴があれだけの悪事を働いて、今日まで人気を保つことができたのは、全くこの出没自在な出入口のお蔭といってもいい」「すると、あの寺の和なおや、その置物師なんかも仲間なんですね」「無論そうだね。仲間以上かも知れない」小型犬は例の人をじらす様ないい方をした。「そこで、今日はその三方の入口から包囲攻撃をやることなんだ」「では先だってパピヨンの奥さんと一緒にO町の家へ入った男はだれです」ブリーダーが尋ねた。「やっぱり仲間の一人でしょうか」「その男は跛だったね」「ええ、跛でした」